画像編集ソフトで写真を補正していると、つい「行きすぎた補正」をしてしまうことがあります。
- そこまでカリカリにしなくてもいいのに
- そこまでコントラストを強くしなくてもいいのに
- そこまで色を鮮やかにしなくてもいいのに
- そこまでツルツルにしなくてもいいのに
いずれもつい「やってしまいがちなこと」なのですが、こうした点は、自分ではなかなか気づきにくいもの。
そこで今回は、「なぜ行きすぎた補正をしてしまうのか」について書いていきます。
なぜ行きすぎた補正をしてしまうのか
「何を補正するか」「どう補正するか」は人によって様々ですが、「行きすぎた補正」になりやすいものはおおよそパターン化できます。
- 画面にメリハリをつけるための補正
- インパクトを出す(人の目をひく)ための補正
- くっきりシャープに見せるための補正
- 画面のアラをなくすための補正
つまりほとんどの場合、表面的な「見た目」に関する項目ですね。
では、なぜ「行きすぎてしまうのか」を考えていきましょう。
「もっと」の基準
まず最初のポイントは、「もっと」の基準です。
たとえば、画面にメリハリを出したい場合のことを考えてみましょう。
わかりやすいところで
- コントラストを強くする
- 彩度を高くする
といった補正をしたとします。
すると、最初はそれぞれの数値を少し上げるだけでも「おお、メリハリがついた!」と喜んでいたのが、次第にそれだけでは物足りなくなってきます。
「もっとメリハリをつけたほうがいいんじゃないか?」と思うようになるわけですね。
そう、ここがポイントです。
ここまでの流れをまとめてみると次のようになります。
- 写真データのままでは物足りないので、メリハリをつけた
- メリハリがついて満足していたが、次第に物足りなくなる
- 前に行った補正より、もっとメリハリを!
注目したいのは、「何を基準にメリハリをつけているのか」です。
そう、メリハリをつける基準が違っているのですね。
つまり、3では「前の補正よりも、もっと補正するぞ!」ということをしているわけですね。
これが続くと、補正がどんどんと強くなっていく――行きすぎた補正になってしまうわけです。
画像をみて考えている
では、なぜこのような現象が起こるかを考えてみましょう。
それは「画像をみて考えているから」です。
- 画像として、もっとメリハリを出したい
- 画像として、もっとインパクトを出したい
だから、補正が行きすぎてしまうのですね。
こうしたケースでは、次の考えがほぼ失われているのも大きなポイントです。
- もっと現実に近づけたい
- もっと見たままに近づけたい
- もっとリアリティを出したい
このように考えれば、「行きすぎた補正」をする際に、なぜ「階調」を犠牲にすることを問題にしないのか、現実感が失われることを気にしないのかもみえてきます。
補正をやりすぎるとCGみたいになる、現実感がなくなる(ウソっぽくなる)のもこれが理由ですね。
表面がツルツル
画像編集ソフトは、画像内にある余計なものを消すことができます。
写真でいえば、被写体についたホコリや汚れなども、かんたんにキレイにすることができます。画面を拡大して作業をすれば、表面のアラを気がすむまで修正することもできます。
……が、こうした作業を行う際に気をつけたいのは、「キレイなことが正解とは限らない」という点です。
不要だと思った汚れやシミが、実はその被写体のリアリティを出すための重要なテクスチャーになっていることもあります。
この場合も考えたいのは、「どこに基準を置くのか」という点です。
「画像としてキレイにしよう」と考えてしまうと、「キレイだけどなんだかウソっぽい」「CGっぽいよね」という仕上がりになってしまうことがあります。
まとめ
今回は「なぜ補正が行きすぎてしまうのか」をテーマにお届けしました。
「基準をどこに置くか」という考え方は有用ですよ。よかったら参考にしてみてください。