前回の記事では「同じようになるその理由」と題して、マニュアルにそった学び方についてお届けしました。
今回はその続きです。
趣味をたのしもう
ここまで数回にわたって、「趣味」についての考察をあれこれと書いてきました。
今の時代はネットに様々な方法論があふれています。今回の連載でも、それを「マニュアル」と称して記事を書いてきました。
昨今は「趣味のたのしみかた」がマニュアル化してきたんじゃないかなあと感じることがあります。
これはカメラや写真には限りませんが、趣味の世界なのに、たとえば
- これは基本だから、必ずおさえておくべき
- ファンならば〇〇をしなければいけない
- このジャンルをたしなむのなら、〇〇は必須
といった感じの空気がひと昔前よりも強くなっているように感じます。
なんといいますか、それをたしなむには義務や前提条件が必要といった空気のようなものを感じることがよくあります。
また、たのしみかたについても「SNSで支持を得ることが重要」的な、「目立つことが大事」「反応してもらうことが大事」といった方向に大多数が流れている(ようにみえる、あるいはみせている)のも気になります。
趣味のかたち
本来、趣味というのは、自分がたのしむためのものであり、それをたしなむことで心を豊かにするものだと思います。
また、歩みはどれだけゆっくりでもよく、自分の世界をたのしむ、自分の時間をたのしむもの――それが「趣味」だと思います。
……が、今は「趣味で好きなことをやっているはずなのにつらい」なんて声を聞くことが、ちょくちょくあります。
そうした人の話を聞いているうちに共通点があることに気づきました。あくまで私が実際に感じた範囲のことではありますが、いくつか例を挙げていきます。
マニュアルにしばられる
まず1つめは「マニュアルにしばられている」と感じるケースです。
今の時代は、何かを学ぶときにネットで調べると「うまくなるためには〇〇しましょう」といった情報がたくさん出てきます。
すると、まじめな人ほどそれを一生懸命にやります。
……が、人間ですから、どれだけ頑張ってもなかなか結果が出ないこともあります。
そういうときって、考えちゃうんですね。
「〇〇をやればうまくなると言われたのに、なんで自分はできないんだろう」など、あれこれと考えてしまいます。
また、今の時代は、自分のことをネットに気軽にアップする人も多いので、「成果が出た人」の情報も目に入ったりします。
すると、より沈み込んでしまう――そんなケースが少なくないように思います。
趣味なのですから、歩みはどれだけゆっくりでもいいはずなのに、道筋をだされて、自分よりも速いペースの人をみせられると、そう思えなくなっちゃうんですよね。
次回に続きます。