現代は、情報があふれている時代といわれます。
便利なものも多いのですが、あまりに多くの情報を目にしすぎると、情報に縛られてしまうことがあります。
たとえば写真の撮り方なら、いろいろな情報を得ることによって
- こういう場面では〇〇をするといいんだな
- こういうときは〇〇はしないほうがいいんだ
- このシーンでは〇〇をするべきなんだな
などなど、自分の頭の中に「情報から学んだルールのようなもの」ができてきます。
人によっては、「これが学ぶことなんだ」とさらに情報を仕入れていくでしょう。
この方法はよいように思えますが、実は危険な部分を併せ持っています。
とうのも、これ、自分の中で写真を撮る時の「きまり」を増やしている行為でもあるんですね。
頭の中で「こうすべき」が増えてしまい、それに縛られてしまう。結果、どこか窮屈で、撮っていても面白味を感じなくなることがあります。
今回はこの件について考えていきましょう。
「なぜそうするのか」の理由を持つ
情報に縛られているときは、「なぜそうするのか」の理由が希薄なことがほとんどです。
自分の中にある「きまり」を見直してみて、その根拠をたどってみましょう。
すると
- 本やサイトにそうすべきと書いてあったから
- 誰かがいいと言ったから
- 何人もの人がそう言っているから
といったものがいくつも出てきます。
そう、「○○に書いてあった、誰かが言っていた」が根拠になっていることが多いのですね。ここが大きなポイントです。
それは本当に「きまり」?
写真には正解がいくつもあります。
たとえば、写真のセオリーとしてよく知られているものに「構図法」があります。「画面のこの位置に被写体を配置すると、写真がグッとよくなる」といったものですね。
こうした方法は古くから伝わっていますが、「こうしなければいけない」というきまりではありません。
あくまで
- 画面が安定しやすい
- 多くの人が「いい」と感じやすい
ものなんですね。
「うまくいきやすいちょっとしたコツ」的な感覚でとらえるとわかりやすいかと思います。
つまり、「構図法」のように古くから知られているものでさえ、こうした感覚のものなんですね。
いろいろ試してみる
この点がわかると、次の点にも気づきます。
セオリーの正体が「うまくいきやすいちょっとしたコツ」であれば、
- うまくいかない場合もあるかもしれない
- そのほかにもうまくいく方法があるかもしれない
ということも考えられるわけですね。
ここまできたら、しめたものです。
あとは実践しながら、自分の中でノウハウをつくっていきます。こうしてできたノウハウには、実践から得たきちんとした理由があります。
そう、「誰かがいいって言ってたからいい方法」ではなく、「実際にいろいろ試してみて、自分なりにつかんだもの」なんですね。
自分なりのコツをつかむために撮る
今回は、情報に縛られないための考え方をお届けしました。
「情報で知った通りに撮る」のではなく、「自分なりのコツをつかむために撮る」。このように考えて取り組んでみると、写真を撮るのがもっとたのしくなりますよ。