前回は「情報過多な時代」と題して、「情報が多い時代だからこその考え方」をテーマにしてお届けしました。
今回はその続きです。
前回の記事では
前回の記事では、今ほどインターネットが普及する前は「本」が大きな情報源の1つだったというお話をしました。
ネット通販も普及していない頃は、本を買おうと思ったら本屋さんに行くというのが普通でした。
が、本屋さんに置いてある本というのは限られています。
そのため、同じ地域でカメラや写真に興味を持った人は、だいたい同じような本を読んでいるような状況でした。
すると、面白い傾向がでてきます――というところまで、前回はお話しました。今回はその続きです。
共通といっていい認識
どの人も手にする本がだいたい同じで、それを読み続けていると、次第に「共通といっていい認識」が生まれてきます。
情報が限られていた時代は、本こそが重要な情報源であり、そのジャンルについて学びたい人にとってはそれが教科書になります。
すると、情報がそこにしかないわけですから、そうした本に書かれていることが読者の中でスタンダードになってきます。
もちろん内容に好き嫌いがあったり、「ん?」と感じることもあったりします。
が、技術論が書いてあれば「なるほど、そうやって考えるんだな」と「考え方」を知り、掲載されている写真をみて「よい(あるいは、よいとされる)写真とはこういう雰囲気のものなんだな」ということを知っていく。
そうすると、みんなが同じような本を読んでいるわけですから、どの人もだいたい近い認識になってきます。
そう、多少の差異や好き嫌いはあれど、多くの人の中に「これがスタンダード」という共通の認識があったわけですね。
今の時代
それに対し、今の時代は非常にややこしくなってきています。
たとえば、本に技術論を書けば、それに対し誰かがネットで正反対のことを言ったりする。そうしたことをレビューに書かれたりする――なんてことが、いろいろな分野でみられます。
こうした場合、この状況だけでは、どちらが正しいのかはわかりません。
たとえば、次のような可能性が考えられます。
- 本に書いてあることが正しく、正反対のことを言っている人の認識がズレている。
- 本に書いてあることが間違っており、正反対のことを言っている人が正しい。
- 本に書いてあることは賛否両論になることが予想される話であり、正反対の意見が出てくるのが当然。
- 本に書いてあることも正反対のことを言っている人のどちらもがズレている。
――などなど、状況だけでは、真偽の判断が非常に難しいのですね。
次回はこの点についてくわしくみていきます。