前回の記事では「道筋についての話」と題して、情報があふれている時代とそれ以前についての考察をお届けしました。
今回はその続きです。
マニュアルが充実するということ
では、「新しい方法が知れ渡ったあとにそのジャンルに入ってきた人」の多くが、「今、主流にみえている方法が基本である」と考えたらどうなるでしょう。
新しい方法を「基本」と考える際の注意点
実は、ここまで例として挙げてきた「新しい方法」(『こうしたら誰でもできますよ』というよい方法)というのは、基本ではなく応用的な知識が入っていることが多いのですね。
「ちゃんとした形にするために、(工程や考え方、わかりづらいところを)すっ飛ばしている部分がある」方法だったりします。
なぜそのようなことをするのかといえば、誰にでもわかりやすく・やりやすくするためです。
……が、当然のことながら、そうした部分は、その方法をみるだけではわかりません。
だから同じようになる
上のことを踏まえて、「新しい方法が知れ渡ったあとにそのジャンルに入ってきた人」の多くが、「今、主流にみえている方法が基本である」と考えたらどうなるでしょう。
すると、
- それが「基本」だと考えているので、守ろうとする
- みんながその「基本」を守ろうとすればするほど、みんなが同じようになる。
といった現象が起こります。
そう、本来であれば応用的な部分――わかりやすくいえば「味つけ」の部分(それも、その方法を提案した人の味つけ)が入った方法をみんなが使うわけですから、当然といえば当然のことですね。
このように考えると「マニュアル」にも種類があることに気づきます。
- 形にするための手順を示したもの
- 個人の味付けが含まれたものまでが「基本」と思われている。そして「これを守ることが制作の基本」という考え方
こうした点を意識してみると、「個性」に関しても面白い見方が生まれてきます。
上で挙げたような方法で学んでいくと、個性を出すには「足し算をする」必要が出てきます。
本来は「味つけ」で個性を出すのがスタンダードな方法なのですが、上の例だと「自分が「基本だと思っているもの」にすでに味がついてしまっている状態なんですね。
ですので、そこに自分の味をつけようとすると、足し算をされたものの上にさらに足し算をすることになる――というわけです。
これは良し悪しといった話ではなく、そういった時代になってきたということでしょう。
次回に続きます。