前回の記事では「自分にとってその媒体は」と題して、「媒体」についての考え方をお届けしました。
今回はその続きです。
前回の記事では
前回の記事では、自分が情報を得ている媒体を「自分にとって有用かどうか」で評価してみようというお話をお届けしました。
前回の記事では「ニュースサイト」を自分なりに評価するケースとして、次のような例を挙げてみました。
- 〇〇ニュース:ついみてしまうが、ストレスがたまることが多い
- △社が運営するニュースサイト「△△」:とりあえず目を通すが、役に立つ情報はほとんどない
- □□ニュース:役に立つ情報がたまにある
このようにすると、「果たして、その媒体から情報を得る必要があるのか?」ということがみえてきます。
この例でしたら、上2つのニュースサイトは「習慣だからみている」傾向が強く、1番上に関しては「ついみてしまうが、ストレスがたまることが多い」という散々な評価です。
つまり、習慣であることをのぞけば、「自分にとって有用とはいえない」ニュースサイトです。
――といったところまで前回はお話をしました。
今回はその続きからです。
「みる理由」を考えてみる
上に挙げた例の状況を、くわしくみていきましょう。
まず重要なのは、上2つのニュースサイトをみる理由が
- 本来は「情報を得たいからみる」はずなのに、「そのサイトをみることが習慣になっているから、みている」
になっている点です。
そう、みる理由は「習慣だから」であり、本来の目的が消えてしまっているのですね。「惰性で見続けている」と言い換えてもいいかもしれません。
そして、2つめのポイントは
- ストレスがたまることが多いのに、習慣だからみにいってしまう
という点です。
この場合、要はそのサイトに行くと「自分にとって有用な情報」ではなく、「ストレスがたまる情報(状況)」が多いわけなんですね。
でも、習慣だからみにいってしまう。そして、ストレスをためて帰ってくる。だけど、習慣だから、次の日もまた……。
――このように考えてみると、よくわかりますね。そう、とても歪な状況なんですね。
接し方を考える
歪な状況であることがわかると、このニュースサイトについて、自分なりの接し方がみえてきます。
- このニュースサイトは習慣(あるいは惰性)でみていた
- が、ストレスがたまることが多く、自分にとって有用な情報を集める場ではないようだ
- つまり、無理にみる必要はない(少なくとも習慣的にみるものではない)
今回の例でしたら、上のような考え方になってくるかと思います。
このようにして「自分が情報を得ている媒体」を、自分にとって有用かどうかで評価をしていくと、自分にとって必要な媒体とそうでないもの振り分けができます。
媒体を取捨選択することで、手元に入ってくる情報を絞るということですね。
そうすることで、情報の交通整理がしやすくなります。次回に続きます。