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カメラ雑誌について考える その2

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前回の記事では「カメラ雑誌について考える その1」と題して、雑誌としての面白さとは何かについて書きました。

カメラ雑誌について考える その1
2021年春、長い歴史のあるカメラ雑誌「日本カメラ」が休刊となりました。 前年にはアサヒカメラが休刊。ひと昔前に比べると、存続しているカメラ雑誌の数は本当に少なくなりました。 雑誌が続かなくなる原因は様々だと思います。 が、「雑誌...

今回はその続きです。

失われていく「読む面白さ」

前回の記事では、私がカメラ雑誌を買わなくなった理由として

  • 読み物としての面白さを感じなくなった
  • (特に好きでもないタイプの)写真をみるだけだったら、わざわざ買う必要はないかなと感じるようになった

といった点を挙げました。

今回はこの「読み物」という部分について、もう少しくわしく書いてみます。

文章の簡易化

これはカメラ雑誌だけでなく、近年、ほかの雑誌や書籍についても感じることですが、「誰でもスラスラと読めそうな文章にする」ことにこだわりすぎではないかと感じます。

「そういう文章が好まれる傾向があるから」という理由があるのかもしれませんが、何でもかんでもそのような文章にする理由はないと思います。

それだけならまだしも、中身や内容までもが軽いものになってしまっている。読み物として非常に薄い感じるものが増えてきたように思います。

また、休刊したカメラ雑誌に関しては、ここ数年は特にですが「対象とする読者が定まっていないのではないか」と感じることも多々ありました。

狭い範囲でのネットを意識しすぎているのではないか

近年は特にですが、「狭い範囲でのネットを意識し過ぎているのではないか」と感じる部分も多々ありました。

現在は雑誌に限らず、こうした傾向はあちこちでみられますが、ネットの情報や反応を考えすぎなのでは?と思うことがよくあります。

たとえば私の場合でしたら、雑誌(本)を読む時に

  • 『その雑誌(本)だからこそ』のものが味わえる

という期待があります。

……が、「ネットで流行っているから記事にしました」「ネットで議論があったので特集しました」的な発想でつくられたようなページがあると、げんなりしてしまいます。

そもそも、そのネットの話題自体が、ごく一部の場所で行われているものだったりすることもあり、そうしたページをみるたびに、なんだかなあと思ってしまいます。

「雑誌では雑誌の世界をみせてくれよ! そのために買ってるんだから」「ネットの情報はネットでみるからいいよ」と感じてしまいます。

対象とする読者はどこに?

先の項目でも書きましたが、近年は特にですが「対象とする読者が定まっていないのではないか」と感じることが多々ありました。

たとえば、こちらは日本カメラの2021年の4月号の表紙です。

「写真家の動画配信が面白い!」という企画を掲載している号です。

感じ方は人それぞれかと思いますが、私はこの企画をみて「う~ん……」と思ってしまいました。

  • 写真家がどうこうするのをみたい読者の人は多いのだろうか?
  • カメラ雑誌で動画配信の特集?
  • そもそも、表紙にでかでかと取り上げるような企画なのだろうか?

……などなど、頭の中に「?」ばかりが浮かんでしまいました。

「動画配信が流行っているから」ということから生まれた企画だと思われますが、これ、私の感覚だと、この企画にページを割くにしても「おまけ程度」だと思うんですよね。

なぜなら「カメラ雑誌を買う人が期待しているのは、こういう企画ではないんじゃないかなあ?」という思いがあるからです。

  • 読者は、カメラ雑誌に何を求めているんだろう?
  • カメラ雑誌はどんな読者を対象に考えているんだろう?

この2つについて考えさせられた事例でした。

こだわりはどこにある?

今の時代、雑誌は速報性ではネットにかなわない部分があります。

が、近年、カメラ雑誌に関して気になっていたのはニュースだけでなく、企画に関しても「ネットの後追い的なもの」が目立つこと。

もちろん、流行に乗る・旬の話題を取り入れることは大切なことだと思いますが、私がいちばん気になったのは「技術やテクニックに関しても、ネットに影響されてしまった」と感じる部分が多いこと。

ある時期から、この雑誌の「写真」あるいは「カメラで撮る」ことについての考え方の土台はどこにあるんだろう?と感じることが増えたように思います。

「え、そこはこの雑誌として譲っていい部分だったの?」――そう思う部分が増えていくたびに、複雑な気分になったことを覚えています。

それと関連しているのかはわかりませんが、文章部分に厚みを感じることも少なくなり、読み物としての面白さもなくなっていったように思います。