カメラを使い始めてしばらくすると、「自分も『写真を撮る側(プレイヤー)』になったんだなあ」と実感することがあります。
それがもっとも顕著になるのは、ほかの人が撮った写真をみるときでしょう。
単純な感想を持つだけでなく、プレイヤー側の視点でもその写真をみるようになります。
たとえば
- なるほど、こういう撮り方(アプローチ)もあるのか
- この写真はどうやって撮っているんだろう
- 自分だったらどのように撮るのかなあ
- どんな機材を使っているのだろう
……などなど、「撮る側としての目」でいろいろなことを考えるようになるのですね。
これは「自分も撮る側になったからこそ」できる写真のたのしみかたといえるでしょう。
……が、ここで気をつけたいことがあります。
それは「評価をする」という考え方です。
「決めつけない」ということ
カメラを使い始めてしばらくすると、自然とカメラや写真についての知識や経験が増えていきます。
これはカメラや写真に限らないことですね。どのジャンルでも、その分野と向き合う時間が増えれば増えるほど、自分の中に何らかの知識や経験が上乗せされていきます。
すると当然のことながら、写真の場合でしたら「写真の見方」が変わってきます。
写真を普通にみるだけではなく、
- 「プレイヤー側の視点」からのアプローチ
- 「自分が得た知識」を通してのアプローチ
といった要素も加えて鑑賞するようになるわけですね。
このことを単純に考えれば、「1枚の写真をいろいろなアプローチでたのしめる」のでいいことのように思えます。
――が、「そういうことばかりではない」というのが人間のむずかしいところです。
「それらしい理由」の落とし穴
写真の知識や経験が増えてくると、初心者の頃とは「写真の見方」が変わってきます。
すると、
- 前は「よい」「すごい」と思っていた写真が、いまいちにみえるようになった
といった現象が起こることがあります。
すると「なぜかな?」と考えるようになります。たとえば次のようなことを思うかもしれません。
- 写真について何も知らないときにみたから、すごい写真にみえたのかな?
- 自分のスキルがあがったから、いまいちにみえるようになったのかな?
- 初心者の自分にはインパクトがあったけれど、わかってみれば、そこまでたいした写真ではないのかな?
……などなど、「なぜいまいちにみえるようになったのか」を考えるわけですね。
こうして考えていくと、いくつも「それらしい理由」があがります。
「このうちのどれかが正解だ!」とも思えます。
――実はここが非常に重要なポイントです。
人によっては、この時点で「つまり、これはそういう写真だったんだ」と結論づけてしまうかもしれません。
……が、ここで重要なのは大切なことが抜け落ちているという点です。
それは「今、この時点で感じたことが本当に正解なのか」という考え方です。
次回に続きます。