デジタル一眼をはじめて買ったころのことです。いろいろと写真を撮っているうちに、感じるようになったことがあります。
それは、「みること」と「やること」との間には大きな違いがあるということです。
たとえば、写真をみているだけのときは
- これなら自分でもできそうな気がする
- ここはこうしたほうがいいんじゃないかな?
- 自分ならこうするのになあ
などと思っていたことでも、実際にやってみると大違い。
あれこれと工夫してみても、その写真の足元にも及ばないものしか撮れなかったりします。
こうした経験をしたことがある方は少なくないかと思います。
というわけで今回は「みること」と「やること」との間にある違いについて書いていきます。
プレイヤーになったからこそのおもしろさ
写真を撮るようになると、写真を撮らなかったころに比べて「写真の見方」が変わってきます。
写真を普通に鑑賞することにあわせて、プレイヤーとしての視点が加わってくるのですね。
その度合いは人によって違いがありますが、たとえば
- この写真は、どうやって撮っているんだろう
- もし自分が同じように撮るとしたら、どんなやり方でのぞんだらいいのかな
など、「その写真の裏にあるもの(その写真が形になるまでのもの)」にも目がいくようになります。
言い方をかえれば、自分が「写真をみる側」から「自分も写真を撮る側(プレイヤー)」になったことで
- 「その写真の外観」をたのしむだけでなく、「その写真のしくみ」をイメージするたのしみ
が加わるわけですね。
その写真のしくみをイメージする
では、先ほど挙げた「その写真の裏にあるもの(その写真が形になるまでのもの)」「その写真のしくみ」という言葉についてくわしくみていきましょう。
たとえば、屋外で何らかのモチーフを撮った写真があったとします。今回は例として、わたしたちが撮影したこのトンボの写真をピックアップしてみます。
この写真はトンボが逆立ちしているところを撮ったものです。この逆立ちしているポーズは、オベリスク姿勢とも呼ばれます。
大前提となる条件
こうした写真を撮る場合は、大前提として次のような条件が必要になります。
- 屋外に出る
- そしてトンボがいる場所にいく
こうして書くと、ごく当たり前のことのようにみえます。
が、ここで次のようなことを想像してみましょう。
- 自分のまわりだったら、トンボの写真が撮れそうな場所ってどこだろう?
すると、トンボ自体は比較的目にしやすい昆虫ですが、実際に撮ろうと思うと、意外に手間がかかりそうなことに気づきます。
「家から出た瞬間にトンボの写真が撮れる環境」の人は少ないと思いますので、ほとんどの人の場合は、どこかに足を運ぶことになります。
つまり、その場所に行く労力(時間と手間)が必要になるわけですね。
次回に続きます。