前回は【「住み分け」という話】というタイトルで、趣味における住み分けの重要性についてお届けしました。
今回はその続きです。
「地続きではない」という感覚
前回の記事で「住み分けが難しい時代になった」ことを書きました。
おさらいをすると、今は検索エンジンのシステム、情報の共有という概念、SNSの普及などによって、情報が本来は「対象としていない人」の目にも入るようになってしまったことについて書きました。
歪な現象
今は非常に歪な時代だと感じます。
たとえば、自分の友達に対して「かっこよく撮れた!みてみて!」とネットにアップした写真が、「その対象でない人」の目にも入る。
そこで「その対象でない人」が、自分の写真に対する価値観と違うと、「この写真のどこがいいんだ?賞賛している人たちもどうなんだ?」と思ってしまう。
写真に限りませんが、似たようなことがあちこちで起こっているように思います。
つまり、
- 「垣根」がなくなることでよくなったこともあれば、悪くなったこともある
わけですね。
こうした現象をみると不思議なことに気づきます。
「垣根」という言葉を、「家の壁」と置き換えるとわかりやすいのかもしれません。
- なぜ発信する側は「その話が隣の家にまる聴こえになっている」ことを意識していないのか
- なぜ受け取る側は「壁がなければ、自分に関係ない話も聴こえてくる」ことを意識していないのか
そう、システムだけの問題ではないのですね。その上、発信する側だけの問題でもない。
非常に歪な状態なのです。
「線を引く」という感覚
以前、カメラ雑誌の記事を書いた際に「狭い範囲でのネットを意識しすぎているのではないか」といったことを書きました。
「SNSのごく一部で話題になったことを、あたかもメインストリームのように書くのはいかがなものか」といった内容のことです。
ネットを使っていると、目に入ってくるものの多くを「自分向けの情報」と錯覚してしまうことがあります。
が、ひと昔前ならまだしも、今のように「情報のほうから飛び込んでくる時代」の場合は、注意が必要です。
そう、あなたが対象かどうかは関係なく飛び込んでくるものも多いのですね。
「目的と対象」を考えて、自分の中で住み分けをするという線引きをする必要があります。