デジタル機器の進化は速いもので、ここ数年でカメラを取り巻く状況もずいぶんと変わりました。
特にスマホに搭載されたカメラの進化は著しく、誰でも手軽に綺麗な写真を撮ることができるようになりました。そして、写真の補正と加工。
InstagramなどのSNSで反応を得るべく、ひと昔前に比べると本当に多くの人が「写真の補正や加工」に手間をかけるようになりました。
くっきり・ギラギラ、細部までとことんシャープ、派手に見せる――そういった写真の傾向がメジャーになってきた今、あえて古いカメラで撮ってみるのもたのしいものです。
トイカメラや古いデジカメを引っ張り出してみる
今、トイカメラや古いデジカメを引っ張り出してみると、まずその本体のデザインに驚きます。
液晶が小さいこと、タッチパネルじゃないこと、デザインがちょっぴり武骨に見えたりスマートじゃなかったりすること。
撮ってみるとさらに驚きます。画像のサイズが小さい、描写が甘い、すぐに白飛びをする――などなど。
ですが、その写真をみるとなんともいえない懐かしさや味があることに気がつきます。
あいまいさと空気感
トイカメラや古いデジカメで撮った写真をみると、今の機材で撮った写真に比べると描写がずいぶんと甘く感じます。
シャープさがなく、コントラストも強くないため、なんだかあいまいな写りをしているようにみえます。
ですが、そこにはなんともいえない空気感があるようにも思えます。
その場所の空気、時代の空気とでもいうのでしょうか。記憶の中のワンシーン、思い出の断片といった感じで、非常に味があるように思えます。
このように感じられるのは、これらの写真が持つ「あいまいさ」からきているものではないかと私は思います。
人はあいまいな部分があると、足りない部分を想像で補うという性質があります。人それぞれの感性によって何をどう想像するかの違いはありますが、見て自分なりの解釈をするわけですね。
良質な詩や小説を読むときの感覚に近いといってもいいかもしれません。頭の中に自分なりの解釈や映像をつくりあげていくわけですね。
画素数の少なさと「捨てること」との違い
トイカメラや古いデジカメで撮った写真をみると、画素数が少ないなりの描写とも感じます。ですが、私はシンプルながらツボを押さえた描写とも思っています。
少ない画素数なりに、大事なものを押さえている。実はこれはとても大事なことなのではないかと思います。
昨今の写真の補正や加工でよく使われる「くっきりとことんまでシャープ」「ハイコントラスト」「高彩度」にすると方法は、基本的に「捨てる」行為です。
階調を捨てる、上と下の差を強くして中間のトーンを捨てることで、これらが成り立ちます。
いわば、「あいまいな部分を捨てる」といった作業です。あいまいな部分が醸し出していた空気感や想像の余地を捨ててしまう作業なわけですね。
空気を塗りつぶす、ということ
また、昨今の写真補正や加工では「ソフトやアプリを使って光を足す」といった手法もメジャーです。
これは写真の見栄えをよくするのに効果的な手法でありますが、そこにあった空気感を塗りつぶしてしまうことでもあります。
デジタルのカメラは「より鮮明に」「より高画質に」を目指して、まい進してきました。ですが、ある時期から「機械的によく見せる」という傾向になってきたようにも感じます。
それはカメラのエンジンが作り出す画であったり、人間の手であったり、あるいはその両方だったりするかもしれません。
まとめ
今回は「あえて古いカメラで撮ってみる。」と題して、トイカメラや古いデジカメ写真のおもしろさをお届けしました。
今は写真を撮る人が増えた半面、個人もメディアもSNSを意識しすぎて「いい写真」の傾向が画一化してきているようにも感じます。
反応した人の数だけで、価値を測定するかのような傾向に危うさを感じています。