前回の記事では「趣味はたのしいもの」と題して、「好きなことをしているはずなのにつらい」と感じるケースについての考察をお届けしました。
今回はその続きです。
マニュアルがないほうがいい人もいる
この連載の中でもお話しましたが、ひと昔前は、ものごとを学ぼうとしたら、学び方から自分で試行錯誤する必要がありました。
逆にいえば、どのように取り組もうと完全に自由で、その分、形にしばられない気楽さがあったように思います。
今とどちらがいいのかはわかりませんが、人それぞれで
- 今の時代のやり方があう人
- ひと昔前のやり方があう人
がいると思うのですね。
いずれにせよ、趣味は自分の時間をたのしむもの。
趣味で好きなことをやっているはずなのにつらい――その場合は、「歩みの速さを強制されていないか(強制されていると感じていないか)」という点を考えてみると、重苦しさの原因がみえてくる可能性があるかもしれません。
比較と競争、そして反応
また、これは今の時代ならではだと思うのですが、「他人の情報が目に入りやすい」というのも忘れてはならないポイントかと思います。
私の知る範囲では、自分の趣味について「他人との比較」「他人からの評価」「他人との競争」といった要素が入ると、つらさが一気に増すといったケースがありました。
たとえば、自分ではよくできたつもりなのに、ネットで
- 自分よりうまい他人と比較してしまい落ち込む
- 思ったより反応の数が少なくて落ち込む
- ほかの人より反応の数が少なくて落ち込む
といったようなケース。これは今の時代にふえてきている事例かと思います。
これらをみると、いずれも「ほかの人」が絡んでいます。
つまり、「趣味は自分の時間をたのしむもの」なのに、「ほかの人がどうこう」という要素が入っているのですね。
そして、それがつらさの原因になっている。
もちろん「ほかの人がどうこう」という要素があるとたのしいと感じる人もいるでしょうが、そうでない人もいる。
当たり前といえば当たり前の話なのですが、今の時代には、非常に見落とされやすい部分といえるでしょう。
「自分がたのしむためのものなのに、他人の反応や動向は必要なのか?」という話ですね。
「むずかしい」と感じることだってある
さて、ここまで「趣味とは自分の時間をたのしむこと」といったニュアンスでお話をしてきました。
が、この連載で使っている「たのしい」という言葉には、「上達するたのしさ」「達成するたのしさ」も含まれています。
たとえば、わかりやすい例としては
- 練習を重ねてできるようになるたのしさ
というものがあります。
つまり、
- 練習自体は大変でも、うまくなっていくのがたのしいから練習する
といったたのしみかたもあるということです。
「始終にこにこできるものだけ」がたのしいではないのですね。もちろん、この場合の練習は、あくまで自分のペースが基準です。
次回に続きます。