前回は「理解できない写真があって当然」というテーマで書きました。
「理解できない写真があって当然」とする主な理由をまず2つ挙げました。
今回はその続きです。
「わかる時期」の可能性2
前回の記事では、「理解できない写真があって当然」の理由を2つ挙げました。
「理解できない写真があって当然」の理由の3つめは、「経験」です。
カメラを始めたばかりの頃や、あるいは写真をみはじめた頃は、「派手なもの」「インパクトがあるもの」に目がいきやすい傾向があります。
見栄えのいいもの、押しが強いものをみて「おお、すごい!」と思ったりします。
が、いろいろな写真をみて「写真をみること」に慣れてくると、次第にみることに余裕がでてきます。
すると、目立つところ以外にも注意がいくようになります。
最初は写真の1点に注意がいっていたのが、2点・3点と増えていき、次第に全体に目がいくようになるわけですね。
つまり、派手さやインパクト以外の部分にも目がいくようになるということです。
このようになると、ほかの写真をみるときも、派手さやインパクトだけに引っ張られにくくなります。そう、最初の頃よりも「見方の幅が広がる」わけですね。
すると、最初の頃には「何がいいのか理解できなかった写真」のよさがみえてくることがあります。
場合によっては「前はいいと思っていた写真が、よく思えなくなった」となることもあるでしょう。が、これは先に挙げた「感性と感覚は時期によって変わる」と同じです。
そう、変わっていくものなのですね。
「理解する努力」を放棄しない
さて、ここまで「理解できない写真があって当然」ということについて書いてきました。
が、気をつけたいのは、「理解する努力」は放棄しないという点です。
いろいろな写真をみていると、必ず「よくわからない写真」に遭遇します。
- どこがいいのかわからない
- 何が評価されているのかわからない
- なぜ人気なのかわからない
といった写真ですね。
こうした写真に遭遇した時は、ほんの少しでもかまいません。まず「なぜよいとされているのか」を考えてみましょう。
それで「これかな?」と思う理由がみつからないときは、深追いはしない。これが今回のテーマのポイントです。
つまり、
- わからない写真について考えることはよいが、無理に理解する必要はない
- わからない写真を、わかっていないのにわかったような気にならない
- わからない写真に自分の感性を合わせる必要はない
ということです。
今回のおすすめ書籍
ネットでばかり写真をみていると、余計な情報まで目に入ったり、自分のスタイルに迷ったりするなど、よくない方向にハマりこんでしまうことがあります。
そうしたときに「写真を撮るたのしさ」を思い出させてくれる本を紹介します。
古い書籍なのでカメラの性能も時代なりですが、「写真を撮るたのしさ」をこれほどまでに詰め込んだ本はなかなかないように思います。
自分が目立つためのものでも、自慢するためのものでもない、自己主張するためのものでもない。
主役を大切にした「たのしい写真」がいっぱいに詰まった1冊です。紙の本だけでなく、電子書籍版もあります。興味のある方はぜひとも。