前回の記事では『「本」も実は情報がバラバラ』と題して、本による情報収集の考え方について書きました。
今回はその続きです。
前回の記事では
前回の記事では、本は「情報の交通整理」をされた上で形になっていることが多いため、読者は混乱しにくい傾向があることについて書きました。
が、本も「1冊の本」としてではなく、発行されている本全体でみると、正反対の内容のものも多く、ネットと同じく、情報の方向性に大きなばらつきがあることがわかります。
が、本による情報収集の場合は、ネットほど混乱しにくい傾向があります。
なぜなら本には「1冊という区切りがある」からです。
その区切り(仕切り)は、自分から開かない限りは取っ払われることはありません。
特に本の場合は、「必要と感じるか、興味がなければ手に取らない」ので、それが情報選別のフィルターとして機能しているわけですね。
――といったところまで前回はお話しました。今回はその続きからです。
情報収集のイメージ
では、ネットでの情報収集について考えてみましょう。
まず大前提として、次のように考えるとイメージしやすくなります。
- 情報にはそれぞれ著者(作者あるいは発信者)がいて、それぞれが自分の主張をしている
そう、いろいろな著者(作者)がいるわけですね。
そうした人たちが、わいわいと「自分の意見はこう!」「わたしの考えはこう!」といっている場所なんですね。
もう少し極端な言い方をするのであれば、
- 多くの著者(作者あるいは発信者)は、自分の思ったことを気ままに話している
というイメージをしてもよいかもしれません。
そして、そもそも、その情報をなぜ発信しているかというと多くの場合は、本のように「こういうターゲットに届けたい」といったものがなかったりします。
むしろ、自分自身の気持ちが動機であることが多く、「語るのが好きだから」「自分の意見を発信するのが好きだから」「備忘録として残しておきたいから」などの理由で、情報をつむいだりしています。
となれば、そう、情報というよりも「個々の主張や考え」と思えば、情報の方向性がバラバラになるのも当然なのですね。
情報の交通整理は誰がする?
また、ネットの場合は、本でいうところの「情報の交通整理をする存在」がいません。
つまり、読者の前に有無をいわさずに、情報という皮をかぶった「いろいろな人の主張(考え)」が、どばっとでてきてしまうわけですね。
当然のことながら、「1冊の本」であれば、形になる前に吟味されたり、ボツになったりするようなものも、そのまま出てきているような状態です。
では、誰が「情報の交通整理をするのか」というと、実はこれ、ネットで情報をみている自分自身なんですね。
つまり、「この情報は整合性はどうなんだ?」と考えるのも、「この情報の方向性はどうなんだ?」と考えるのも、自分自身なんですね。
ですので、ネットの情報は
- 情報ごとに作者がおり、それぞれが自分の考えを主張している。
- そのため、方向性がバラバラになるのは当たり前。
- 情報の交通整理をする存在がいないので、それを行うのは自分自身。
というわけですね。
このように考えると、ネットでの情報収集のイメージがみえてきますね。次回に続きます。