前回の記事では「多くに条件の上に成り立っている」と題して、1枚の写真が様々な条件を満たした上で形になっていることについてお届けしました。

今回はその続きです。
むずかしさがわかる
写真を撮るようになって「みる側」から自分も「撮る側(プレイヤー)」になると、写真の見方が変わってきます。

みるだけのときは「かんたんそうだな」と思った写真でも、実際に自分で撮ってみるとそうはいかないことが多々あります。
たとえばわたしの場合でしたら、技術的なものはもちろんですが、最初のころに特に驚いたのは「その手間」です。
「1枚の写真にそこまで手間と労力をかけるのか!」と本当に驚いた覚えがあります。
バランス感覚
さて、このテーマの冒頭の回で
写真を撮るようになると、写真を撮らなかったころに比べて「写真の見方」が変わってきます。
写真を普通に鑑賞することにあわせて、プレイヤーとしての視点が加わってくるのですね。
といったことを書きました。
プレイヤーとしての視点が加わると、写真をみることがよりたのしくなります。が、ここで気をつけたいのはバランス感覚です。
写真を撮ることに熱くなればなるほど、プレイヤー側の視点が強くなりやすい傾向があります。
これがエスカレートすると、「写真のしくみ」ばかりに強く目が向いててしまい、写真をみることを純粋にたのしめなくなったりすることがあります。
また、「見る側の視点」と大きくかけ離れてしまうことがあります。
ですので、
- しくみ抜きで、いいものはいい
- 最初に「おっ!」と思ったものは、たぶんいいもの
ぐらいのアバウトな考え方も持っておくと安心です。
まとめ
数回にわたって「みること」と「やること」との間には大きな違いがあるをテーマにお届けしました。
プレイヤーになってみて面白いのは「実は」の部分がみえてくることかと思います。
- 今まで何気なくみていた写真が、実はすごいんだなあということがわかった
- 普通だと思っていた写真が、実はよく考えられた写真だということがわかった
などなど、「みる側」のときには気づかなかったことに気づいた瞬間は、なんともいえない感動があります。
プレイヤーになると、どうしても「プレイヤーの視点」が強くなる部分がありますが、誰もがもともとは「みる側」だったんですよね。
そのときに自分が感じていたことは、嘘偽りのない「みる側の視点」からのものだったはずです。忘れてはいけない視点だと思います。