今回は「自分だけにしか撮れない写真とは何か」について考えていきます。
では、自分だけにしか撮れない写真とはなんでしょう。主に次の4つにわけられます。
- 人とは違うスキルを使って撮った写真
- 人とは違うアイデアで撮った写真
- 人とは違う機会(チャンス、場所、機材)を利用して撮った写真
- 自分の個性が出た写真
このうちの1~3までは「誰でもすぐにできる」というわけにはいかないでしょう。これらのいずれかを得るには、それに見合ったものが必要となります。
ですが「4.自分の個性が出た写真」については誰でもすぐに目指すことができます。
個性とは何か
個性というと、
- 人と明らかに違う部分がある
- 人よりも目立つ部分がある
- 人よりも優れた部分がある
といったことをイメージする方もいるかと思います。
いわば、「ほかの人よりも、自分のほうがいいところがある」という比較からくる考え方ですね。
たしかにそういった人をみると、「個性的だなあ」と感じる人も多いでしょう。
ですが、「個性」とはそれだけのものではありません。
世の中には、何から何まで全く同じ人はいませんよね。容姿はもちろんのこと、「性格や感性が全く同じ」なんてこともありません。
つまり、それぞれに違い――「個の性質」があるわけですね。そう、これが個性です。
- 容姿
- 性格
- 感性
写真の場合は、自分の容姿を入れる人ばかりではないので、「性格」「感性」を基準に考えます。
つまり、「自分の性格・感性のいずれか」が写真に反映されれば、自分だけの写真になると考えられます。もちろん「性格と感性の両方」が入ってもOKです。
個の性質の濃度が高くなる分、より自分らしさが出る、というわけですね。
特別な場所じゃなくてもいい
「自分の性格・感性のいずれか」が写真に反映されれば、自分だけの写真になると考えると、「特別な場所や特別なものを撮ることだけが写真ではない」ということがわかってきます。
有名な観光スポットを例に考えてみましょう。
有名なスポットで撮る写真は、細かな違いはあれど、どうしても人と似たような写真になってしまうことがよくあります。
「有名」なスポットですから、人が集まりますし、その中で「多くの人がキレイと感じる場所」「ここに来たら、このポジションから撮るべきでしょ」という場所が存在します。
そこで違いを出すとなると、ベースが同じなわけですからなかなか難しいものがあります。
みんなが来ないような時間に撮る、画像編集でバリバリに加工する――などの手段がありますが、他と違いをつけようと頑張るほど、それらがエスカレートして次第にベースとはかけ離れていきます。
- みんなと同じ制服で、どうその制服に個性を出すか
のようなものです。
ベースが同じなのですから、できることはおおよそ決まっていますね。
普通に着ないようにする、崩す、変形させる……などなど。やればやるほど、ベースが持つ本来の様式・デザインからかけ離れていきます。
やや極端な例でしたが、「同じスポットで撮って、個性を出そうとする」のはこれに近いものがあります。
やればやるほど、「そのものが持つ本来の魅力や美しさからかけ離れていく」可能性が高くなります。
リアルなCG(コンピューターグラフィックス)は「実物のようにみえること」を目指しているのに、実物を撮ったはずの写真が「リアルからかけ離れたCG」のようになっていく。
このなんとも不思議なねじれがみられる状況、それが今という時代なのかもしれません。
自分の「好き」を撮る
説明が長くなりましたが、「自分の性格・感性のいずれか」が写真に反映されれば、自分だけの写真になる。
これが誰でもすぐに目指せるところだと思います。
興味があるもの、好きだなと思うものを撮ってみる。そして、自分が好きだなと思うところが「うん、納得」という感じで撮れていれば「いい写真」だと考えます。
客観視するのと、反応をもらいたいのとは違う
写真を撮るときは、「見る人のことを考えること」も必要だといわれます。
確かに重要なことなのですが、このときに注意したいのは
- 「客観視する」のと「反応をもらいたい」のとは違う
という点です。
世の中では、基本的に見た瞬間にパッと反応しやすいもの、いわゆる脊髄反射しやすいもののほうが多くの反応を得られる傾向があります。
世の中で流行っているものをみるとわかりますね。何も考えなくても、瞬時に「おもしろそう」「たのしそう」「おいしそう」と人に思わせるものが多くの反応を得ています。
SNSの利用者が増えて「反応を数という形で可視化しやすくなった」こともあり、そうした傾向を利用したマーケティングや仕掛けも増えてきています。
一般の人でも「反応してもらえるよう」に意識している人は相当な数いるでしょう。
が、それはあくまで「脊髄反射しやすいコンテンツになっているかどうか」がポイントであって、「客観視」とは違ったものです。
かんたんにいえば、
- 自分ではこう考えて撮ったけれど、ちゃんと伝わるかな?
- 独りよがりになっていないかな?
と考えるのが客観視です。
写真は「味わう」という楽しみ方もできる
写真は鑑賞して「味わえるもの」になれる側面もあります。
じっくり見てたのしい、よくみると面白いね 長くみていても飽きないね。そういう写真を撮れるのも、カメラの面白さです。
娯楽というのは「派手だけど飽きやすいもの」だけではありません。本来は「味わいがあるもの」「じっくりとたのしめるもの」もあって成り立ちます。
写真でいえば、脊髄反射的な反応を意識しすぎることなく
- 自分だけが大切と感じるものを撮る
- みんなと一緒、同じことをしなくていい
と考えることも大切です。
せっかくカメラという自分の好きなものを自由に撮れるアイテムがあるのに、「他人にどう思われるかな?」が重要な要素になるのはもったいないように思います。
個性とは、他人と比較して決めることではありません。「自分らしさ」を出せば、自ずと個性が出ます。
興味があるもの、好きだなと思うものを撮ってみる。そして、自分が好きだなと思うところが「うん、納得」という感じで撮れていれば「いい写真」。私はそう考えます。