写真には「この場面ではこう撮ると雰囲気が出やすいよ」という方法がいろいろとあります。
「基本」と呼ばれるものから、「~法」と呼ばれるもの、「セオリー」と呼ばれるものなど様々なものがあります。
古くから伝わっているものも多く、これらを知っていくのは非常に面白いものです。
ですが、これらはあくまで「使いどころ」を考えながら使うのが大きなポイント、
「どんな場面でも、無条件にそうしなくてはいけない」というものでありません。
今回は「セオリーとの向き合い方」と題して、セオリーからはずれた撮り方をする場合の考え方について書いていきます。
垂直や水平のラインがずれていると気になる
写真を撮る際に「画面内に垂直・水平のラインがある場合は、傾かないようにする」という考え方があります。
たとえば、水平線や地平線。これらがしっかり水平になるように撮ると、画面が落ち着いて安定感が出ます。
逆に、これらが微妙に傾いていると、みる人は非常に気になります。なんだか落ち着かない画面になり、写真全体が不安定な印象を与えます。
また、人によっては「う~ん、まっすぐ撮ろうとして失敗したのかな?」とみてしまう人もいるかもしれません。
微妙なズレや歪みはとても気になる
人間とは不思議なもので、微妙にずれていたり微妙に歪んでいたりすると、とても気になる性質があります。
「正解に近いけれど、微妙にズレているもの」をみると、頭の中で正解と比べてしまい、ものすごく気になってしまうんですね。
CG(コンピューターグラフィックス)で人間をリアルに描こうとする際に、よく言われる言葉に「不気味の谷」というものがあります。
描写をリアルな人間に近づければ近づけるほど、「本物と違う部分」が気になり、違和感を持たれやすくなる(あるいは、それが人にマイナスの感情を与える)というものです。
不思議なことに、こうしたCGは、いかにもマンガ的にディフォルメされたキャラクターよりも、嘘くさくみえることもあります。
これを水平線や地平線にあてはめて考えてみましょう。
正解に近いけれど微妙にズレている
「リアルを目指したCG」と「ディフォルメされたキャラクター」を比べて考えてみます。
「本物の人間の体」を正解とするなら、正解に近いのは「リアルを目指したCG」でしょう。
ですが、上にも書いたように「正解に近いけれど微妙にズレているもの」は、人間はその微妙な違いをとても気にする性質があります。
それに対し、正解からあえて大きくはずれているものに対しては、「正解と比較しない」「割り切ってみる」性質があります。
つまり、これを水平線・地平線にあてはめて考えれば、みる人は
- 水平線・地平線が微妙に傾いていると、とても気になる(正解との比較)
- 水平線・地平線が大きく傾いていれば、「そういうもの」として割り切ってみる(正解と比較しない)
というわけですね。
はずすときははずす
つまり、水平線・地平線の話でいえば、「セオリーを守るのであればきっちり守る」「はずすのなら大胆にはずす」のが大きなポイントだと考えられます。
「微妙にはずす」のはナシと考えるわけですね。
このようにして考えると、自分の中で「セオリーを守る理由」「セオリーをくずす理由」を持って撮影をすることができます。
「なぜそうするんだろう」「なぜおかしくみえるんだろう」こうしたことを考えながら写真を撮ると、より撮影がたのしくなりますよ。よかったら参考にしてみてください。