写真にはいろいろな形があります。
たとえば
- かっこよく(かわいく)撮れた! みてみて!
というものもあれば、
- 思いをこめた写真が撮れた
- 自分のやりたい表現ができた
といったものもあります。
そのほかにもいろいろな形があるでしょう。
大切なのは、そのどれもが写真であり、どれもが正解であるということです。今回は、こうした「写真の形」をテーマに書いていきます。
写真の形
冒頭で書いたように、写真にはいろいろな形があります。そして、その「どれもが正解」という点についてまず考えていきましょう。
定義というもの
人間には、多かれ少なかれ「定義をすること」を好む性質があります。
多くの人は、写真を撮り始めてしばらくすると、「写真とはこういうもの」という自分なりの考え方が生まれてきます。
すると、その考えや定義からはずれているものに対して何らかの感情を持ちます。
たとえば
- なるほど、こういうスタイルもあるのか!(賞賛・許容)
- まあ、そういうのもアリなんじゃない?(なんとなく許容)
- ああいう写真はちょっと……(許容しない)
- なっとらん!(強い拒絶)
といった感じで、人それぞれの感情を持ちます。
賞賛と拒絶の間には大きな隔たりがあります。
賞賛する人の中には「ここに写真の未来がある」などと大きな可能性を感じる人がいるのに対し、拒絶する人の中には「このままでは写真という文化が……」と大きな絶望を感じる人がいたりします。
こうした隔たりをみると、「考え方(価値観)の違い」という言葉だけでは片づけられない部分があるようにも思えます。
「文章」を例に考えてみよう
ここで写真を「文章」にたとえて考えてみましょう。
文章は、人それぞれの目的やに応じて紡がれます。同じ言語・同じ筆記用具を使っていても、書く人の目的(あるいは読む対象)によって、内容や表現方法は大きく違ったものになります。
たとえば、
- 日記
- 伝言メモ
- 手紙
- 小説
- 論文
これらはどれも「文章」によって構成されるものですが、内容も表現方法も様々です。
仮に、上に挙げたそれぞれを同じ人が書いたとしても、中身にはやはり大きな違いが出ます。
手紙1つとってもそうです。「誰に送る手紙なのか」「どんな用件の手紙なのか」によって、文体や内容・表現方法が変わるでしょう。
そう、目的や対象によってスタイルが変わるのは当然なのですね。
では、これを写真に置き換えてみましょう。
「写真」で考えてみよう
先ほど、文章は目的や対象によってスタイルが変わるのは当然と書きました。
この「文章」の部分を「写真」に置き換えると次のようになります。
- 写真は目的や対象によってスタイルが変わるのは当然
この場合の対象というのは、「見せたい相手」です。
つまり、目的や「見せたい相手」によって内容や表現方法が変わるのは当然ということです。
これは非常に重要な点です。次回に続きます。